2012年1月31日 (火)

社会保障というか、年金について

社会保障改革

年金 - Wikipedia

日本は世界でも有数の豊かな国となったが、その実は少子化・高齢化という大きな政治的・経済的課題を抱えている。既に人口は減少を始めており、2055年には65歳以上の高齢者が人口の半分にも達すると予想されている。

さらに、財政問題も深刻である。歳入の半分もしくは半分近くが赤字国債で賄われる状態が恒常的であり、累積債務は1000兆円という膨大なものである(純債務で見ても問題の程度は変わらない)。そして、一般歳出の50%以上は社会保障費に当てられている。この社会保障費の大部分が、医療・年金への支出なのである。無論これらの予算は今後の高齢化によってさらに増大し、少子化によって支える側の負担も重いものとなる。

つまり、財政問題は社会保障問題であり、それは世代間対立と少子高齢化の問題であり、日本社会の抱えた根本的な問題なのである。

世代間格差を減らし、日本の特長である安定した社会を残していくのなら、このような制度を持続可能なものに改める必要がある。

年金の方法として、財源の由来に関する保険料・税負担方式と、財政運営についての積立・賦課方式がある。

積立方式は、個人が現役時代に自分の分の年金原資を拠出・積み立て、機関投資家の運用を経たのちに、給付を受けるものである。物価変動に対して問題なく追随して運用ができれば、人口変動には影響を受けないが、制度の確立に数十年を要する。今からこの制度に移行するのは事実上不可能である。

賦活方式は、その時代の現役世代が保険料を納め、同時代の引退世代に給付を行うものである。物価変動に強く、労働人口が増加する発展途上経済についてはうまく機能する仕組みであるが、現代の日本社会の状況では困難が生じる。物価が安定している社会では、さしたるプラス効果もない。

そして、現在の年金の仕組みは保険料/賦課方式を基本としている。日本の年金システムは当初、保険料/積立方式だったが、経済成長とインフレ、給付の拡大ともに賦課方式へと移行していった。

保険料方式は、被保険者が保険料を支払い年金給付の財源とするものである。受益と負担の関係がある意味明確である。しかし、賦活方式の場合少子高齢化が進行すると年金財政は悪化し、現役世代には重い負担となる。

他方、保険料方式に対して提案されているところの税負担方式とは、国家予算として租税によって年金制度を運営するものである。

税負担方式の利点として、年金の財源を国民が広く負担し、安定した歳入を得られることがあげられる。一方、たとえば消費税を財源とした場合、低所得者の負担が相対的に大きくなり、社会の平等性を損なうという懸念がある。

実際のところ、国民年金については既に国庫負担が半分となっており、保険料方式と税負担方式のハイブリッド状態である。

社会保障の持続性は以前から問題視されており、2004年の段階で、これから100年で積立金を取り崩しながら年金会計のバランスが取れるように給付と財源を調整して運営する、と一応は決定されている。さらに、被用者年金を統一して財政規模を拡大することも行われている。しかし、財源については新たに確保したものはなく、根本的な解決が見られない状態が続いている。

この議論は税制改革と組み合わされ、現在進行中の社会保障・税の一体改革へと展開されていく。昨今の消費税率引き上げは、この社会保障の財源を確保するためのものである。

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2012年1月 3日 (火)

欧州/米国財政危機メモ

ギリシャ財政危機 - Yahoo!ニュース

アメリカの財政赤字問題 - Yahoo!ニュース

欧州債務危機をめぐる動き - JETRO

欧州はいくつかの国の財政問題をきっかけに、金融システムの健全性が疑問視され、全面的なユーロ安と金融危機に陥っている。

きっかけはギリシャの財政赤字問題で、2001年にユーロに加盟して2009年末まで、単年度の赤字はGDPの3~6%だとされていた。ユーロはその価値の毀損を防ぐため、加盟国の赤字がGDPの3%以下であることを定めている。しかしながら、09年末の政権交代後、財政赤字は12%にも達していると訂正され、この問題が突然表面化することとなった。結局のところ、ギリシャは資金調達が困難になり、債権者と債務カットの調整を行っている。

ギリシャの財政政策は慢性的に歳入と歳出のバランスが取れておらず、給付が多すぎてかつ地下経済が横行するという状態だった。今回のような赤字問題に対して、通常はインフレによる債務の縮減・債権者との調整による債務整理・通貨が切り下がって輸出の拡大が起こり、経済は立ち直っていく(歳出削減も行われるし、立ち直れない国も多い)。しかし、今回はユーロという共通通貨を採用しているため、債務整理と歳出削減しか方策がないのである。

他には、ポルトガル・アイルランド・イタリアも深刻な財政問題を抱えている。前2者のGDP債務割合は10%とかなり大きく、累積債務残高も膨大である。基本的には、経済的な競争力がもともと高くないこと、08年の金融危機後に資産価格が暴落したことで経済的に行き詰まったことが、現在の問題の原因となっている。さらに、スペインもこれら債務問題を抱えた国にくわえられることが多い。イタリアとスペインは、債務額が大きいことと(ギリシャは約25兆円でイタリアは約190兆円)、多額の償還を12年中に控えていることから、市場の不安要因となっている。

成熟国の貯蓄や流動性は利益を求めて、発展途上国などのハイリスクな投資先へと向かう。世界経済は慢性的な投資先不足なのだが、はっきり言ってどうにもならない。さらに、そのような投資先がいかに問題を抱えていても、投資商品の作り手・売り手はそれを隠すインセンティブを持っていて、先のCDO/CDS問題のようなことになる。また、それが顕在化するまでは機関投資家のような大組織というのは動けないものだし、派手な動きを見せればそれ自体危機を招いてしまう。

南欧諸国は財政収支と経常収支のアンバランスが解消しないまま雪だるま式に負債は膨らみ、欧州の諸金融機関の資産も不良債権化してしまった。不均衡とリスクへの備えのなさは、米国の金融危機と似た構図で、何も変わっていなかった。

ギリシャのような国が出てくることに対しては、通貨協定のルールにおいて対処しておかねばならない。そして、そのような相手に融資をしてしまうところにも問題がある。

他方、米国の連邦政府も1100兆円以上の負債を抱えており、2011年には法で定められた累積債務上限にまで達してしまった。この制限は過去に何度も抵触しては引き上げられを繰り返しており、それ自体はそう特別なことではないのだが、与野党の政治的な対立がもとで予算が成立しないのでは、と危惧された。結局、民主党と共和党の妥協により2011年の予算は議会を通過したのだが、これから苦しい歳出削減に臨まなければならない。米国はこれから10年間、社会保障費の増加や景気の落ち込みに対する支出、軍事費を削りながら毎年20兆円弱の歳出削減を行うことになるのである。

ギリシャ的デフォルトは、海外の資金に財政赤字を依存するような状態で、信用を失った国債の消化がうまくいかなくなったことによる。

一方、米国のデフォルト危機は、累積債務額が法に触れるようになり、予算案が議会を通過できないことによるものだった。テクニカルな問題であり、本質的には国債の消化には関係ないのだが、それでも混乱を招くものである。

日本も財政赤字は膨大なものであり、長期的にその額は発散してしまうと見られるが、いわゆる財政危機がどんな道筋で生じるのかは、今回の欧米の問題が参考になる。おそらく、一度は国会でもめるのだが、その後は調達先の海外割合が増加し、世界からの信用を無くすまではだらだらと今のような状態が続くのだろう。

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2012年1月 1日 (日)

昨年からのMENA動乱ざっくり

大きく変わる中東情勢

エジプト軍部クーデターから半年: 極東ブログ

BBC News - Middle East protests: Country by country -

2011年の世界の動きのなかで目立ったもののひとつに、MENA地域の混乱がある。まだ終わっていない事柄であるし、重要でもあるので、ざっくりメモしておく。

始まりはチュニジアのベンアリ政権崩壊。これは貧困層の若者の焼身自殺がきっかけとされ、そこから若者らの大規模な反政府デモに発展、行政府と大統領官邸が暴徒に占拠された後に、大統領の逃亡と内閣総辞職により政権が崩壊してしまった。
背景の一部には若年層の失業や所得格差などの経済問題がある。MENA地域は総じて若年層の失業率が高く、人口割合も大きい。
また、暴徒の鎮圧の過程で、大統領が軍トップに「暴徒を撃て」と指示したところ、幹部がこれを断っている。どうやら、軍と大統領の関係は経済的な配分が理由で良くなかったようだ。さらに旧宗主国のフランスとの不和もあったとされる。
投石と放火だけで行政府を占拠できるとは信じがたいので、何かしら外部から反政府運動に援助があったのでは、とも思う。

今後チュニジアがどうなっていくのかだが、経済的に結びつきの強い欧州が深刻な金融問題を抱えていること、政治的な次のフレームが不確かな事などから、あまり良い見通しはない。太陽熱発電の主要な舞台の一つなので、私の仕事にもいくらか関係がある。

次にはエジプトの騒乱と政権崩壊が起こった。MENA地域に関してはほぼ共通して、失業や貧困などの経済問題が存在している。エジプトにもその要素は大いにあるのだが、こちらは米国やイスラエルとの国際政治に係る問題、軍部と大統領の利権争いの問題が大きかったようだ。

エジプトはこの地域では大国で、中東問題やスエズ運河を抱えることから世界経済への影響が小さくない。軍事部門を中心に米国とは関係が深く、ムバラク氏の方針と米国の意向の相違はかなり問題になったと見られる。さらに、エジプト経済はムバラク一族の企業によるものが大きな割合を占め、その利益配分が軍との不和の一因になったようだ。

そして、エジプト軍による隠れたクーデタという事になった。この争乱中、軍はうまく立ち回った。結果、軍による暫定統治は長引き、先日行われた選挙も公平公正ではなかったという意見がある。軍による市民への弾圧も、大統領の退陣以降は顕在化してきている。

政治的にも経済的にも宗教的にも、エジプトは長引く問題を抱えている。

リビアでは、隣国の混乱が政治改革を求めるデモを生じた。リビアの所得は比較的高いのだが、東西の部族対立が背景にあり政治的な衝突が存在していた。この動きに対して、カダフィ政権は傭兵を投入して、凄惨な弾圧を行った。一般市民の感覚としても酷いもので、国連はリビアの制裁に踏み切ったが、フランスを中心とするNATOはリビアの空爆を行った。

リビアの混乱は端的に言って部族闘争の類だったのだが、諸先進国はなぜ介入したのだろうか。一つには、フランスが選挙を控えており、外交上の成果をアピールするためだったと言われている。また、リビアが産油国であり、原油市場の混乱を抑えるためだったとも考えられる。

結果的に政権は崩壊し、カダフィ氏は殺害された。この際の動きに、フランスや米国が関わっていたと言われている。氏は国際司法裁判所から指名手配されており、関係した先進国の行動は問題だとも言われている。この国の行方だが、原油生産は各国の介入で安定するだろうが、部族をまとめるリーダは不在であり、政治的な安定は見えない。さらに、東部にはアルカイダ系勢力が存在するとされ、その対応も問題になる。

アルジェリアでも経済的な問題から反大統領、政治改革を求めるデモが発生した。ここは軍事政権であり、その力も強く、過去にイスラム過激派やアルカイダと対決、鎮圧している。デモ側の動きはそれほど強硬なものではなく、政府の対応も柔軟だったといえ、深刻な混乱にはなっていない。アルジェリアは産油国として大きなポジションを占めており、その安定は先進諸国の望むところであり、実際その通りになっている。

モロッコも小さなデモが発生したが、こちらも政府が対応したこと、国王は支持されていることから、安定した状態が続いている。

中東も政治的に揺れた。

バーレーンは経済問題の解決、民主化、シーア派差別の撤廃を訴えるデモが発生し、鎮圧に乗り出した政府との衝突で死者が出た。そこからデモは拡大、王政打倒を訴えるものに変化した。その後、GCCが軍を派遣して治安維持にあたっており、一時のような顕著な動きは抑えられている。この国は歴史的な経緯から、イラン系のシーア派が人口の7割を占めているが、統治しているのは(バーレーンでは)少数派のスンニ派である。シーア派はスンニ派から見れば異端であるため、差別されて経済格差が生じている。また、シーア派の後ろ盾はアラブ諸国と対立するイランであり、反政府運動への支援が疑われている。

バーレーンの政治体制の変化はアラブ諸国に大きな影響を与える。さらに、米軍の重要拠点であることから、この国の政治システムは簡単には変化させられない、という事情もある。

イラクは米軍がついに撤退したのだが、イランや反米勢力の影響を受け、親米的だったスンニ派の立場が悪化しつつある。イランは核開発を進め、米軍が居なくなった今、近隣諸国へ勢力を拡大しつつある。

イエメンは以前から南北対立、部族対立が深刻で、経済的にもアラブの最貧国という位置づけであり、状態のいい国ではなかった。アルカイダ系テロ組織も南部を中心に活動している。今回の問題では、サレハ大統領側も譲歩の姿勢を見せてはいるが、反政府側の勢いはとどまらない。GCCの仲介もあって大統領の退陣へ方向性は定まったが、その後にいかに政治経済を安定させるのか、テロを抑え込むのかというところは見えていない。

サウジアラビアも小規模なデモが発生したが、比較的所得が高く王政が支持されていることから、当面は問題ないとみられる。ただ、現国王は高齢であり、後継者は政治的にも宗教的にも強硬であることから、将来的に混乱する可能性もある。

目下のところ最も注目を集めているのはシリアだろう。政治的対立から反政府運動が発生したが、これは軍を大規模に投入することで弾圧されている。リビアばりに酷い状態で、過去にもこのような事例は繰り返されている。今回はMENA地域全体での動きもあり、アラブ諸国からも制裁の警告が発せられているが、シリアは対応をほとんど変えていない。なぜ国際社会を敵に回す道を選ぶのだろうか。

シリアの民族構成として、85%がアラブ人であり、他はクルド人やアルメニア人などの少数民族が占めている。他方、イスラム教がシリアのマジョリティであるが、ほとんどがスンニ派であり、アサド大統領の一族は少数のアラウィ派で、これはスンニ派からは異端視されている。旧宗主国のフランスの都合でアラウィ派が統治者になっており、この立場を逃すことが彼らに深刻な問題を引き起こす為に、強硬な弾圧を継続しているのだと見られる。

他方、現政権は反イスラエルであり、ヒズボラやハマスの支援を行っている。これらの組織は米国・イスラエルと直接対話のチャネルを持っておらず、実はシリア経由で交渉が行われている。現政権が崩壊してしまうと、これらの交渉に問題が生じる。さらに、隣国はイランでそのほかにも過激派が多数存在する地域であるため、シリアの安定は時間のかかる難しい問題である。

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2011年12月31日 (土)

今年はいろいろありましたが

社会的にも、個人的にも。

プライベートでは、面倒くさい事をいろいろ助けてくれた友人に感謝。来年はもうちょっと頑張ります。方策はないけどLLはあります。あとバンドどうにかして再始動したい。こっちもLLはある。

仕事の方は、とっとと基本的な設計手法を身につけるところからか。業務上の改善点はおいおい見つかるだろう。あと英語。CNN毎日聞いて、インド人と話すの面倒くさがらないことかな。

もう私はただのハードの開発系の技術屋でしかないので、どんな生き方ができるのかも改めて探ることにする。

それと、働き始めてから社会の動きを調べて考える作業をほとんどしなくなってしまった。自分の時間が減っていく中で、どう折り合いをつけていくのかも探りたい。それが自分の持ち味なのだろうし。

あと、MUTEMATHいいですね。シンプルで軽妙でグルーブ感。

よいお年を

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2011年12月30日 (金)

エネルギ問題についてざっくり

資源エネルギー庁_エネルギー白書のページ

エネルギー供給構造高度化法について

今年はエネルギ供給の在り方を考えさせられる事が多かった。自然災害からも、仕事からも。そのあたり雑多にメモ。

エネ庁のサイトに、地震前に作成された白書があり、その時点での日本のエネルギ供給構造についての課題と施策が述べられている。

単純化すると、1次エネルギ源が石油・石炭・天然ガスに偏っており、輸入先も地理的に局在化していて、近年顕著な価格変動や政治的リスクに弱い構造になっていることが現状の課題とされている。

施策については日本政府の見解らしく、原子力発電の拡大と自主開発権益を増加させるなどが挙げられている。この辺り、経済学的には国際市場への流通量を増やして市場取引を促進するようなやり方の方が望ましいのではと思われるが。

エネルギ政策の大きな柱だった原子力発電だったが、震災で導入の拡大は政治的に困難になってしまった。被災した福島第一原発のみならず各地の原発が停止に追い込まれ、中期的な意味で電力需給の逼迫を招いている。来春には全ての原発が停止すると見込まれ、通常時には実に総発電量の3割を占めるエネルギ源を一時的にせよ失うことになる。

他方、今回の震災では東日本の太平洋側沿岸の発電所が多数被災・停止してしまい、原発よりは短い期間の問題であるにせよ、深刻な電力不足が生じた。これらから、日本の電力供給の技術的・制度的な課題がにわかに浮かび上がり、その解決が求められるようになった。

問題になったのは、電力融通が周波数・幹線の容量から限定的な規模でしか行えなかったこと、ほぼ無差別な輪番停電が行われたこと、IPPからの電力供給の追加が大規模に行えなかったことなどであった。

これらは直接には技術的な問題なのだが、背景には地域ごとに独占的な電力会社が存在して発電から配電まで一括で管理している仕組みや、系統間の連携を強化する政策の不在がある。発送電の分離と9電力独占体制の改革、IPPの規制緩和による制度的な再構築、幹線の強化と周波数の統一、やマイクログリッドの導入による技術的な再構築を検討・実施することが望まれる。よく言われる英米での電力自由化の失敗や、欧州のE.ONやEDFなどの大規模事業者について学び、先人の知見を取り入れるいい機会ではある。

ただ、この電力問題については火力発電の増設によって、短期的には乗り越えられつつある。休止中の重油炊き汽力発電の再開や、空き地へのガスタービン発電機の設置、損傷した設備の復旧により、発電能力は需要に見合う程度にまで回復している。中期的にも、設備能力だけで言えば、石炭や天然ガスによる火力発電の増強で克服できるだろうし、その方向で事は進んでいくのだろうと自分は思う。短期的な見方をすると最も容易なのである。

しかしながら、この方法だけで落ち着いてしまうと、震災前に掲げられていた課題を解決できない。原油高が再び訪れた時にはコスト高で苦しむことになるし、需給の逼迫に一役買って、それで貧しい国の人は苦しむ。個人的には温室効果ガスの増加にはあまり興味ないが、ガスでもその類のガス排出量増加を招く。ガス生産国でも石油のごとく偏っていて、政治的に不利になりかねない。また、電力系統の運用を含めた改革が忘れ去られる懸念もある。

また、再生可能エネルギの大規模導入についてだが、技術的にはともかく何より大事なコスト的に問題が多く、実現可能性はとても小さいと思われる。

諸外国で大規模に利用されている水力発電はもう場所がない。風力発電は日本ではコスト高で、地理的条件に恵まれた欧州や大陸各国のようには普及しえない。太陽光発電はまだ値が張る。有機薄膜太陽電池や集光型の発展いかんでは安くなるのだが。太陽熱発電も日本の条件では不可能(サンベルトにおいてもまだ高い)。地熱は利用度に限界がある。バイオマスは変換効率のいいものではなく、日本では面積が足りない。海流発電はポテンシャルがあるかもしれないが、研究段階。系統の強化とマイクログリッドの実現が必要なものも多い。

結局、原子力発電の導入について検討し直し、再び増強していく必要があるのではないかと思う。

ところで、電力以外のガス・石油等のエネルギ源も震災で供給に問題が生じたが、石油については他地域からのバックアップ、ガスについてはパイプラインによって補完されていた。要するに、多様化・多重化が重要なのである。

このように複雑で大規模で中長期的な解決が求められるエネルギ問題も、長期的に見れば日本の人口が順調に減少し、工場が海外に移転することで、大した手を打たずとも全く問題なく乗り越えられるのかもしれない。

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2011年11月 1日 (火)

海外研修を終えて

「海外」と「現場」は異なるものだと思われた。前者からは、公私ともに異文化に囲まれ刺激に満ちた環境をイメージするのではなかろうか。実際、都市のオフィスで働いていればそういうものだろう。後者の特質を切り出すと、変化のない閉鎖空間で、夜明け前に動き出して休みもなく、他者とのコミュニケーションは浅くて単純なものになる。

上司の出来いかんで、自分の成長というものは決まってしまう。後進の育成にまで手が回らないとか、そもそもそんなつもりのないボスの下では、まともな仕事は回ってこない。

自分の時間の確保と気分転換ができるかが、生産性を維持できるかに関わってくる。もっと言うと、その現場での仕事を続けられるかが決まってしまう。

外国人との仕事では、イメージを伝えることが難しい。オフィスで資料をまとめさせるにしても、仕事のプランを立てさせるにしても、枠組みはともかく想像したものが出てくることは珍しい。特に言外のことをくみ取って工夫してくれることもない。

あとは、誰かが支えてくれるか。淋しいときにそれを分かち合える誰かがいるか否か。ただ、それがむしろ重荷になっている同期も数名いた。

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2011年10月16日 (日)

あることの一面

自分がカタールに行っている3か月の間に、日本は首相が交代し、幾つかの甚大な災害に見舞われた。故郷の近くもその被害を受けた。そして、後になってから知ったのだが、古い友人の一人が結婚して引っ越し、父方の祖母が亡くなった。海外に出るというのは、そういうことである。

祖母は自分が小さいころ、山がちなその家の周りを動き回る私によくついて回ってくれた。周囲との関係も悪くなかったようだ。
晩年、老いの影響か、周囲と衝突することが多く、実際のところ父方の実家の重荷になっていた。
ある日家の中で転んで、それがもとで植物状態になり、けがから数週間で亡くなってしまった。
四十九日に自分は出席させてもらった。周囲はほっとしたようだった。
老いとは、人生とは、その一面とは、そういうものだ。

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2011年6月29日 (水)

旧約も読んでみた

新約聖書は旧約を基にしていて、旧約を知らないとイメージしづらいところが多々ある。それに、色々とこれを読んで知ることもあるんじゃないかと思った。という訳で、旧約を調達。中公クラシックスの中沢訳で、アマゾンにもある通り抄訳。ただ、お金を払った分マリアンナでもらった新約よりも格段に読みやすくはなっている。

それで、ざっと読んでみるとヤハウェがとても人間臭い。書かれている通り、まさに嫉妬の神である。自分で創った人間の無法ぶり、不信心ぶりに憤り、何度となく全てを滅ぼそうとする。そこは聖書なので、途中で気が変わって、戒律を守る信仰の人ならば救われるという事になるのだが。

そしてイエスとその弟子が主役の新約とは異なって、主たるヤハウェが(明確に)自分で行動する。しばしば預言者の前に現れ、神の御業を表して自分の民を救う。

神にささげる生贄の描写が多く、生臭い印象もある。何故神が生贄を求めるのかは分からない。

信じる人/信じない人にセンシティブなのは新約と同様。また、選民思想的に他宗教や他民族を敵視している面が強い。これは周囲との争いがあった歴史的な経緯が影響しているのだろうか。

最後に収録されている、コーヘレスの伝道の書はちょっと面白い。いくら知識を求めても、富を蓄えても、人生は空の空でしかない。ただ、これはヤハウェありきの疑似ニヒリズム。結局、神を信じて自分の分をわきまえることが幸せだと説く。

で、やはりわからなかったのが、何故これが世界全体に広まったのかということ。男尊女卑で他民族を貶めていて、(重要ではないにしろ)論理的に筋が通らない。

他方、宗教の役割は理解しやすかった。人生に付きまとう不幸と本質的な苦しみ、ニヒリズムから、絶対的な主という存在を認めることで救済される方法がこれなのだろう。

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2011年6月26日 (日)

入社して3か月

5月の約3週間、英語研修を受けた。ネイティブで教育の経験が豊富な講師陣がそろっており、既にビジネスで成功している人もいた。こちらのレベルに合わせるのがとてもうまく、話も面白かった。研修内容もメンバーどうしのプレゼンややり取りが基本題材で、そちらのスキルを磨く上でも意味のあるものだったと思う。「プレゼンは4本の脚で出来ている」

もともとの出来が悪いのだから、素直に準備に励めばよい。それは仕方のないことだ。

この研修、講師陣の話す内容がとても聞き取りやすかったので、リスニング力を高めなければならないことを忘れてしまっていた。また、同期とのやりとりを通して、思考が整理できている人が多く、それは自分の課題なのだと思い知った。

自分の配属先は、主に研究~実証や実証~商業炉へのスケールアップを担うところになった。技術屋としては変化があって、個人的に興味をひかれるテーマを扱う可能性も残っているという意味では、まぁ良かったのかもしれない。部署の人々は、一緒にやっていく上では特に問題なさそうである。
ただ、個人的なキャリアを考えると、ここでの仕事のスタイルはいわゆる何でも屋に近いものがあり、労働市場でやっていけるのかと不安にも思う。


個人的な悩みが仕事のパフォーマンスを落としがちである。この相関性をなくすことはできないだろう。とすれば、自分の精神面をいかに安定させたままやっていけるか、ということが問題になる。

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2011年5月 5日 (木)

ちょっと読んでみた

マリアンナ通いをしているので、新約聖書を読んでみた。

ハビアン本の中でも言及されているのだが、神とイエスの行動、聖書にある根本的な思想がかなり人間くさい。旧約聖書(読んでないので中身は知らない)の時代からの話を引き合いにして、ユダヤ人はとかく神の教えを曲解するのみならず、預言者とそれを信じる人らをを虐げてきたとする。そのような信じない人、道から外れた人たちを罵倒したり、 聖霊によって殺害したりする。特に、ユダヤ教のファリサイ派は敵。(福音書では)異邦人や異教の人は人ではない。イエスも空腹になるし、喜怒哀楽がある。怒りでイチジクの木を枯らしたりもする。厭世感も感じる。こんなに凄いことばかりやってのけているのに、何で信じないのお前ら。まぁ、脳の質が低いから仕方ないか、というような。

まぁ、偉大なる神の存在というのはともかく、この聖書の記述からは、全知全能の唯一神というふうには読み取れない。背景がわからないのだが、男尊女卑も酷い。これを読んで思索したり調べたりはするのかも知れないが、どれだけの割合で信仰の人になれるんだろうか。少なくとも自分は躓いたというか、何なんだろこれと思った。あぁ、生まれてこない方が良かった。

ただ、おぉと思ったところもいくつかある。ひとつはペトロが裏切り、苦しむところ。そもそも小説なのだろうか。自分には知性も教養もないのでわからないのだが。ここは、人間の本性が素直に描かれていると思う。もうひとつは、構成要素なのだが、パウロが各地の信徒や仲間たちに向けて手紙を書いているところ。人数が多くなると、いろいろな問題が発生するところが表されている。人間、そんなものだよな、というのがここにも表現されている。

これの背景は、歴史とか文化を専門的に学ばないとさっぱり分からないかなとも思う。あと、旧約とセットでないといけないのかな。

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